2009年07月14日

ハイデルベルク信仰問答

序 ただ一つの慰め
第1主日
問1 生きる時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか?
答 わたしのからだも魂も、
生きる時も、死ぬ時も、わたしのものではなく2、
わたしのほんとうの救い主イエス・キリストのものであることです3。
このお方は、ご自分の貴い血によって4、
わたしのすべての罪の代償を、完全に支払って下さいました5。
そしてわたしを、悪魔のすべての力から、救い出し6、
今も守って下さいますから7、
 天にいらっしゃいます、わたしの御父のみこころによらないでは、
わたしの頭からは、一本の髪の毛も落ちることはありません8。
そればかりか、すべての事が、わたしの祝福に役立つに違いないのです9。
 そのため、主は、その聖霊によっても、
わたしに永遠の生命を与えることを約束してくださり10、
これからは、わたしが、心から喜んで、
主のために生きることができるようにして下さるのです11。

問2 それならば、あなたがこの慰めの中に、祝福されて生き、また死ぬことができるためには、あなたは、いくつのことを、知らねばならないのですか。
答 三つのことです1。
第一には、わたしの罪とわたしのみじめさとが、どんなに大きいかということ2、
第二には、わたしが、どのようにして、わたしのあらゆる罪と、わたしのあらゆるみじめさとから、救われるかということ3、
第三には、わたしが、どのように、この救いに対して、神に、感謝すべきかということです4。


第一部 人間のみじめさについて
第2主日
問3 何によって、あなたは、あなたのみじめなことを認めるのですか。
答 神の律法によってです1。

問4 それでは、神の律法は、わたしたちに、何を要求するのですか。
答 キリストは、それを、マタイによる福音書第22章の中に、簡潔におまとめになりました。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている2。」

問5 あなたは、このすべてを、完全に守ることができますか。
答 いいえ、できません3。
なぜならば、生まれつき、神様とわたしの隣り人とを憎む傾向にあるからです。
創世記8:21 人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。


第3主日
問6 神様は人間を、そんなに悪く、正反対なものに、お造りになったのでしょうか。
答 いいえ1、そうではなくて、神様は、人間を、良いものに、
つまり、ご自身の姿に似せて、お造りになりました2。
人間をまことに正しく、聖いものに、お造りになったのですから、
人間は、神様を、自分の造り主として正しく知り、心から愛して、
神様とともに永遠の祝福の中に生きて、
神様をほめたたえるようにして下さっているのです3。

問7 どこから、そのような人間の堕落した性質が起こったのですか。
答 わたしたちの第一の両親、アダムとエバの、楽園での、堕罪と不従順とから起こったのです4。
 そこで、わたしたちの本質は、毒されてしまいましたので、
わたしたちは、皆、罪のうちにはらまれて、生まれるのです5。

問8 何か良いことに対しては、まったくをもって無能であり、あらゆる悪に対しては、それに向かう傾向がある。それほどに、わたしたちは堕落しているのですか。
答 はい、そうです1。もしも、わたしたちが、神のみ霊によって新しく生まれるのでないのならば2。


第4主日
問9 神様が、その律法において、できないことを、要求されることは、人間に対して、神様が、正しくないことを行なっているのではありませんか。
答 いいえ、そうではありません。神様は、人間を、それができるように、お造りになったのです3。
 それなのに、人間と、そのすべての子孫たちは、悪魔にそそのかされて、身勝手な不従順のために、この賜物を、奪われてしまったのです4。

問10 神様は、このような不従順と背反とを、罰しないでおかれるつもりでしょうか。答 決してそうではありません1。
神様は、生まれつきの罪深い性質にも、実際の罪深い行いにも、激しくお怒りになります。
そして、この世においても、永遠においても、その正しいさばきにより、罰しようとされるのです。
それは、「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」とおっしゃった通りなのです2。

問11 でも神様は、憐れみ深いお方でもあるのではないのですか。
答 神様は、たしかに憐れみふかいお方でありますが3、
また正しいお方でもあるのです4。
ですから、神様の正義は要求します。
すべてのものにまさって高い神様の尊厳に対して犯された罪は、
最高の、すなわち肉体と魂への永遠の罰により罰せられるのです。


第二部 人間の救いについて
仲 保 者

第5主日
問12 わたしたちは神様の正しいさばきによって、この世における罰も、永遠の罰も、当然受けなければならなくなったのですが、どうしたら、この罰を逃れ、再び神様の恵みを得ることができるでしょうか。
答 神様は、ご自分の正義が十分に行われることを望んでおられます1。
ですから、わたしたちは、わたしたちの罪と負債を、自分自身でか、
あるいは誰か他の人によって、完全につぐなわなければならないのです2。

問13 ですがわたしたちは、自分自身でつぐなうことができるでしょうか。
答 決してできません。
むしろ、わたしたちは、自分の罪を、毎日、大きくしているのです3。

問14 それならば、何かの、被造物にすぎないものが、わたしたちのために、つぐなうことができるでしょうか。
答 できません。なぜなら、第一に、神様は、人間の犯したことについて、他の被造物を罰することをお望みにはならないからです4。
第二に、被造物にすぎないものが、罪に対する神様の永遠の怒りの重荷を担い、他のものを、それから救うことは、できないからです5。

問15 わたしたちは、どのような仲保者および救い主を、求めなければならないのですか。
答 まことの1、正しい人間2であって、しかも、あらゆる被造物よりも強いもの、すなわち、同時にまことの神であるようなお方です3。


第6主日
問16 なぜ、その方は、まことの、正しい人間でなければならないのですか。
答 なぜならば、神様は正しい方ですから4、罪を犯した人間の本性が、みずからの罪のつぐないをすることを求めておられるからです。
そしてまた、みずから罪人であるものは、他のもののために、罪のつぐないをすることはできないからです5。

問17 なぜ、その方は、同時にまことの神様でなければならないのですか。
答 なぜなら、神様としてのご性質の力によって1、神様の怒りの重荷に、人間としての性質において、耐えることができるからです2。
そして、わたしたちのために、義と生命とを、得てくださり、また取り戻してくださるのです3。

問18 まことに神様であると同時に、まことに、正しい人間である、という仲保者とは誰ですか。
答 わたしたちの主イエス・キリストです4。
主は、わたしたちが、完全な救いと義とを得るために、遣わされたのです5。

問19 どうして、それが、あなたに、わかるのですか。
答 聖なる福音によってです。
神様は、みずからこれを、最初に楽園において1啓示されました。
そして、聖なる族長たちと2預言者たちによって告げさせ、
犠牲と、その他の律法による儀式とによって、模範として備え3、
最後に、神様の愛するひとり子によって、成就されたのです4。


第7主日
問20 それでは、すべの人間がアダムによって堕落したように、
すべての人間はキリストによって救われるのですか?
答 いいえ、そうではありません。まことの信仰によって、手足として主のからだにはめこまれ、主の恵みを、すべて受けいれた人だけです5。

問21 まことの信仰とは何ですか。
答 まことの信仰とは、
わたしたちに、神様が、その御言葉によってお示しになった1ことを、すべてまことであるとする、確かな認識だけではなく、
聖霊2が、福音によって、わたしたちの内に働いて下さる3という、
心からの信頼4のことでもあるのです。
 それによって、他の人々だけではなく、わたしに対しても、罪の赦し、永遠の義、そして祝福が、神様から、ただ、恵みにより、また、ただキリストのみわざのためのみにより5、与えられるのです6。

問22 キリスト者が信じなくてはならないことは何ですか。
答 福音の中で、わたしたちに約束されていることすべてです7。
それを、わたしたちの公同の、疑うことのない、キリスト信仰の信仰告白が、要約してわたしたちに教えています。

問23 その信仰告白はどのように述べていますか。
答 わたしは、神、父、全能者、天地の造り主を信じます。
わたしは、イエス・キリスト、神のひとり子、わたしたちの主を信じます。
主は、聖霊によってやどされ、乙女マリアより産まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しめられ、十字架につけられ、死んで葬られ、地獄に下り、三日目に再び死からよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座し、生きる者と死ぬ者とを裁くために、そこから再び来られます。
わたしは聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖なる者の共同体、
罪の赦し、身体のよみがえり、永遠のいのちを信じます。


第8主日
問24 この信仰告白はどのように分けられますか。
答 三つの部分に分けられます。
第一は、父なる神様とわたしたちの創造を扱っています。
第二は、子なる神様とわたしたちの救いについて。
第三は、聖霊なる神様とわたしたちの聖化についてです。

問25 神様はただおひとりであるのに1、どうしてあなたは、三つ、つまり、父、子、聖霊と呼ぶのですか。
答 なぜなら、神様は御自身を、みことばにおいて、その様にあらわされたからです2。つまり、この三つの異なった人格が、ただおひとりの、まことの、永遠の神であることをあらわされたのです。


第9主日
問26 「わたしは、神、父、全能者、天地の造り主を信じます。」というときには、あなたは何を信じているのですか。
答 わたしは次のことを信じているのです。
わたしたちの主イエス・キリストの永遠の父が、その御子のゆえに、わたしの神様であり、わたしの父であるということを1。
 神様は、天と地と、その中にあるすべてのものを、何もないところから造られました2。そしてこれを、神様の永遠の御心と摂理によって、常に、保ち、支配しておられるのです3。
 その神様に、わたしは、よりたのみ、疑うことをしません。
神様が、わたしに、からだと魂に必要な、すべてのものを備えてくださっているということを4。
また、このなやみの多い世の中において、神様がわたしにお与えになる、
どのような不幸でさえも、最もよいものに変えて下さることを5。
 神様は、全能の神様ですから、これをなさることができますし6、
信頼できるお父さまですから、喜んで、これをしてくださるのです7。


第10主日
問27 あなたは、神様の摂理とは、何であると思いますか。
答 神様の、全能で、あらゆるところで今働いている力であると思います1。
その力によって、神様は、天と地を、そのすべての被造物といっしょに、
神様ご自身のみ手によってなさるかのように、保たれ2、また、支配されるのです。
なぜなら、木の葉も草も、雨も日照りも、
実り豊かな年も、実りのない年も、食べることも飲むことも3、
健康も病気も4、富も貧しさも5、
すべてのものが、偶然にではなく、
神様の父親としてのみ手によって、わたしたちに与えられるのです。

問28 神様の創造と摂理とを知ると、わたしたちにとって何の役に立つのですか。
答 わたしたちが、あらゆる不幸の中でも、忍耐深くなり1、
幸福の中では、感謝をして2、
未来のことに対しては、わたしたちの信頼できる、お父様である神様に、
全面的に信頼するようになることなのです。
なぜなら、なにものも、私たちを神様の愛から切り離すことはできないからです3。それは、すべての被造物が、完全に神様のみ手の内にあり、神様のご意志によらないでは、揺れることも、動くこともできないからなのです4。


子なる神について
第11主日
問29 なぜ神様のみ子は、イエス、すなわち救い主と呼ばれるのですか。
答 それは神様のみ子が、わたしたちを、わたしたちの罪から救ってくださるからです1。
 そして、他の何ものにも、救いを探し求めることも、見いだすこともできないからなのです2。

問30 それでは、救いと祝福とを、聖人や、自分自身や、あるいは、その他のところに求めようとする人も、ただお一人の救い主、イエスを信じていることになるのでしょうか。
答 いいえ、そうはなりません。
その人々は、確かに言葉では主をほめるのですが、行いにおいては、ただおひとりの救済者であり、救い主である主を否定しているのです3。
なぜなら、イエスは完全な救い主ではないとするか、
あるいは、まことの信仰によって、この方を受け入れ、この方において、祝福に必要なことすべてを手に入れるかの、どちらかしかないからなのです4。


第12主日
問31 なぜ主は、キリスト、つまり油注がれた者と呼ばれるのですか。
答 主は、父なる神様から任命され、聖霊によって油を注がれた1、
わたしたちの最上の預言者であり、また教師であるからです2。
主は、わたしたちに、わたしたちの救いについての、
神様の隠されたみ心とご意志を完全に明らかにされるのです3。
 また、主は、私たちの唯一の大祭司です4。
そのお身体を、ただ一回限りの犠牲として、わたしたちを救って下さいました。いつも、主のとりなしによって、父の前にわたしたちの代わりに立たれるのです5。
 また、主は、わたしたちの永遠の王です。
主は、その言葉と霊とによって、わたしたちを支配され、成し遂げてくださった救いによって、守り、保ってくださるのです6。

問32 それでは、なぜあなたは、キリスト者と呼ばれるのですか。
答 なぜなら、わたしは信仰によってキリストの手足のひとつとなるからです1。
そうなることにより、わたしは、主に注がれた油の分け前にあずかります2。
それによって、わたしもまた、主のみ名を告白して3、
わたし自身を、主に、生きている感謝の献げ物として献げるのです4。
そして、この世では、自由な良心をもって、罪と悪魔とにたいして戦い5、
将来においては、永遠に、主と共に、すべての被造物を支配するのです6。


第13主日
問33 なぜイエス・キリストは神のひとり子と呼ばれるのですか。
わたしたちもまた、神様の子供であるのに。
答 なぜなら、キリストだけが、永遠の、本物の神様の子供であるからです7。
わたしたちは、主のゆえに、恵みによって神様の子供とされたのです8。

問34 あなたは、なぜ、このお方を、私たちの主と呼ぶのですか。
答 主が、肉と魂とをもって、罪とすべての悪魔の暴力とから、
わたしたちを、ご自分のものとするために救い出し、贖って下さったからです。
金や銀によってではありません。主の尊い血によって1、ご自身の生命をわたしたちのためにお与えくださることによって、買い取って下さったのです2。


第14主日
問35 「聖霊によりてやどり、乙女マリヤより生まれ」とはどういう意味ですか。
答 今も、これからもずっと3、本当の、永遠の神様であられる、永遠の神の子が4、聖霊の働きによって5、本当の人間の性質を、乙女マリヤの肉と血とからとられて6、
それによって、このお方もまた、本当のダビデの子孫となり7、罪の他はすべて8、兄弟たちと等しくなられたということです9。

問36 キリストの、聖霊によって宿られたことと、誕生とは、
あなたにどのような利益になりますか。
答 このお方は、わたしたちの仲保者であり1、
ご自身の罪のないことと、完全な清さとによって、
わたしが、その中に、はらまれ、生まれた、わたしの罪を、
神様のみ顔の前に、覆って下さることです2。


第15主日
問37 「苦しみを受け」という言葉を、あなたはどう理解していますか。
答 キリストは、そのおからだと魂とをもって、
この世においては、そのご生涯のすべての時を、特にその最期において、
すべての人類の罪に対する神の怒りをになって下さったのです3。
そのお苦しみの、ただ一度限りの罪の犠牲によって4、
わたしたちのからだと、わたしたちの魂とを、永遠の刑罰から救い、
わたしたちに、神の恵みと正義と永遠の生命を得させて下さる、ということです。

問38 なぜ、このお方は、裁判官ポンテオ・ビラトのもとに苦しまれたのですか。
答 このお方が、罪なくして、この世の裁判官によって有罪とされ1、
その事によって、わたしたちに下されるべき、神様の厳しい判決から、解放するためなのです2。

問39 このお方が、十字架につけられたという事は、他の死に方をされたときよりも、意味のあることなのでしょうか。
答 はい、そうです。
なぜならば、そのことによって、わたしは次のことを確信するのです。
このお方が、わたしたちにかけられるべき呪いを、ご自身で引き受けて下さったことを3。なぜなら十字架の死は神に呪われたものだからです4。


第16主日
問40 なぜ、キリストは死の苦しみを受けねばならなかったのですか。
答 神様の正義と真理のゆえに5、
神様のみ子の死による以外には、他の何もわたしたちの罪をあがなうことが出来なかったからです6。

問41 なぜ、このお方は葬られたのですか。
答 このお方が本当に死んでしまったということを証言するためです1。

問42 キリストがわたしたちのために死んで下さったのに、
なぜ、わたしたちはまだ、死ななければならないのですか。
答 わたしたちが死んでも、わたしたちの罪を償うことには決してなりません。わたしたちの死によって、ただ罪だけが死ぬのです。そして、それは、永遠の生命への入り口なのです2。

問43 キリストの犠牲と十字架の死により、わたしたちは、さらにどのような利益を受けますか。
答 この方のみ力により、わたしたちの古い人は、この方といっしょに、十字架につけられ、殺されて、葬られることです3。
それにより、わたしたちの悪い肉の欲は、
もうわたしたちの中で、支配することはありません4。
むしろ、わたしたちは、わたしたち自身を、このお方に、生きている感謝の献げ物として献げるのです5。

問44 なぜ、「地獄に下り」と、続くのですか。
答 わたしが、もっとも苦しい試みの中においても、
次のことを確信するためです。
わたしの主キリストが、わたしを、地獄の不安と苦しみとから救って下さったことを。
それは、このお方もまた、その魂において、十字架とそれ以前に、言い表すことの出来ない不安、苦痛、そして恐怖を苦しまれたからなのです1。


第17主日
問45 キリストの復活は、わたしたちに、どのような益をもたらすのですか。
答 第一に、主は、その復活によって、死に打ち勝たれました。
わたしたちのために、義の取り分を与えて下さるのです。
それは、主が、ご自分の死によって手に入れて下さったのです2。
 第二に、その御力により、わたしたちもまた、新しい生命を呼び覚まされるのです3。
 第三に、キリストの復活は、わたしたちにとって、わたしたちの魂の復活の、確かな保証となるのです4。

問46 「天に昇り」はどういう意味ですか。
答 キリストは彼の弟子たちの目の前で、地から天に引き上げられました1。
そして、生きる者と死ぬ者とを裁くために来られるまで2、
わたしたちの利益のために、そこにおられるということです3。

問47 それでは、わたしたちにお約束になったように、
キリストは、この世の終わりまで、私たちと共にはおられないのですか。
答 キリストは、まことの人であり、まことの神です。
その人間としてのご性質によれば、主は今はもう地上にはおられません4。
しかし、キリストの神様としての尊厳、その恵みとその御霊においては、
私たちから離れることは決してありえないのです5。

問48 しかし、キリストが神様としておいでになるところ、
どこにおいても、人間の性質でおられるのでないならば、神様の性質と人間の性質との、二つの性質が、キリストの中で切り離されてしまうのではないですか。
答 いいえ、決してそうではありません。
キリストは神様として、わたしたちの理解を超えて、今どこにでもおられるのです1。
したがって、キリストは、神様として、
おとりになった人間としてのご性質の外にもおられますし、
また、それでもなお、その人間としてのご性質の中にもおられ、
常に、この人間としてのご性質と、位格において結合しているのです2。


第18主日
問49 キリストの昇天は、わたしたちに何の利益をもたらしますか。
答 第一に、主は、天において、父の御顔の前で、わたしたちをとりなしてくださいます3。
第二に、わたしたちは、確かな担保として、主においてわたしたちの肉を天に持つのです。
それゆえ、主はわたしたちのかしらとして、その手足を、彼のもとへと引き上げてくださいます4。
第三に、これに見合う担保として、主はわたしたちに御霊を送って下さいます5。
その力によって、わたしたちは、天にあるもの、すなわち、キリストが神の右に座しておられるところにあるものを求め、地の上にあるものを求めないのです6。
ヨハネによる福音書14:2,3 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

問50 なぜ「神の右に座したまえり」と付け加えられたのですか。
答 キリストは天に上げられました。
それは、そこにおいて、主ご自身が、キリストの教会のかしらであることを知らせるためであり1、それにより神様は全てを支配なさるのです2。


第19主日
問51 わたしたちのかしらなるキリストの栄光は、わたしたちにどのような利益になりますか。
答 第一に、キリストは、主の手足である、わたしたちに、聖霊により、天の恵みを注いで下さいます1。
そして次に、主は、その御力により、あらゆる敵から、私たちを守り保って下さるのです2。

問52 生ける者と死ねる者とを、さばくためのキリストの再臨は、
どのような慰めをあなたに与えますか。
答 あらゆる苦難や迫害の中にあっても、わたしは、頭を挙げて、
天からの、まさにその審判者を待ち望むのです3。
 主はわたしのために、すでに神様のさばきを受けてお立ちになり、
すべての罰を、わたしから取り除いて下さいました。
 主は、主とわたしのすべての敵を、永遠の罰の中に投げ入れますが4、
わたしを、すべての選ばれた者たちとともに、み許に召して、天の喜びと栄光のうちに入れて下さるのです5。


聖霊なる神について
第20主日
問53 聖霊については、何を信じますか。
答 第一に、聖霊は、御父と、御子と共に、真実の永遠の神です1。
 第二に、聖霊は、わたしにも、与えられています2。
そして、まことの信仰によって、
キリストのわたしの取り分と、そのすべての恵みにあずからせて下さいます3。
 聖霊は、わたしを慰め4、永遠にわたしのもとにとどまって下さいます5。


第21主日
問54 聖なる公同のキリスト教会については、何を信じますか。
答 わたしは次のことを信じます。
 神の御子が1、すべての人類の中から2、ご自分のために永遠の生命に連なる群れを選ばれたこと3、
 主がその群れを、御霊と御言葉とによって4、
まことの信仰において一つなるものとして5、
世のはじめから終わりまで6、集め、守り、保って下さることです7。
 また、わたしは次のことも信じます。
わたしが、その群れの活ける枝であり8、永遠にそうであり続けることを9。

問55 聖徒の交わりを、どのように理解しますか。
答 第一に、すべての信ずるものは枝として、
共に誰でも、主キリストと主のすべての宝と賜物とを持つのです10。
 第二に、それ故、どの枝も、その主の賜物を、他の枝の利益と救いのために、快く、喜んで、使う責任があることを知っていなければなりません11。
エフェソの信徒への手紙4:3-6 平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

問56 罪の赦しについて、何を信じますか。
答 神様が、キリストがわたしのために償いを成し遂げられたことのゆえに1、
わたしのすべての罪について、
また、わたしが、一生の間戦わなければならない、わたしの罪深い性質について2、もうお考えにならないことです。
それどころか、恵みによって、わたしにキリストの義を与えて、
わたしがもはや審きに合うことのないようにして下さるのです3。


第22主日
問57 体のよみがえりは、どのような慰めをあなたに与えますか。
答 私の魂が、この生涯の後に、直ちにかしらなるキリストのもとへと受け入れられる事です4。
 そればかりか、私の肉体もまた、キリストの力によって甦らせられ、
再び、私の魂と一体となって、キリストの栄光の体と同じ形になるのです5。

問58 永遠の生命の約束はあなたにどのような慰めを与えますか。
答 すでに今、わたしは永遠の喜びの始まりを私の心の内に感じています1。
 この生涯の後に、わたしは人の目も未だ見ず、人の耳も未だ聞かない、そして誰の心にも浮かんだことのない完全な祝福を持ち2、神を永遠に讃美するのです3。

第23主日
問五十九 それでは、これらすべてを信じることは、あなたにとってどのように役立ちますか。
答 わたしがキリストによって神の前に義となり、そして永遠の生命の相続人となることです4。

問60 どのようにして、あなたは神の前に義となるのですか。
答 イエス・キリストへの、まことの信仰によるだけです1。
 確かに、わたしの良心が、
神様のすべての戒めに対して、はなはだしく罪を犯しており、どれ一つをも守ることがないと言って2、
 また、依然として、わたしがすべての悪に向かう傾向があると言って3、
わたしを責めるのですが、
 神様は、わたしに、わたしの功績がまったく無くても4、大きな恵みによって5、キリストの完全な償いと6、義と聖とを贈って下さいます7。
 主は、あたかも、わたしが何の罪を犯した事も、持った事も無いかのように、また、キリストがわたしのために果たして下さった、完全な服従を、自分自身で成し遂げたかのように8、
それらをわたしのものと認めてくださるのです9。
 わたしが、この恩恵を、信仰に満ちた心をもって受けるならば10、
わたしは、神様の前に義とされるのです。

問61 なぜあなたは、ただ、信仰によってのみ、義とされると言うのですか。
答 わたしの信仰がそのような価値を持っているから、
わたしが、神様の御心にかなうというのではないのです。
 そうではなくて、ただ、キリストの償いと、義と、聖とが、
神様の前で、わたしの義となるのです1。
それを、わたしは、ただ信仰による以外には、受け取ることも、わたしのものとすることも出来ないのです2。


第24主日
問62 なぜ、わたしたちは、わたしたちの良い行いによって、
神様の前に、完全に義、あるいは、せめてその一部分とならないのですか。
答 神様のさばきにたえられる義は、まったく完全であり、神様の律法に、完全にかなうものでなければなりません3。
 しかし、この世における、わたしたちの最もよい行いでも、まったく不完全であり、罪に汚れているのです4。

問63 神様が、この世でも、来るべき世でも、それに報いてくださるというのに、それでも、わたしたちは、わたしたちの良い行いによって、何も得ることはできないのですか。
答 神様がわたしたちに報いてくださるのは、
わたしたちが、受けるに値する者であるからではなく、
神様がそれほど恵み深い方でいらっしゃるからなのです1。

問64 この教えは、人間を、無思慮で無責任な者に、するのではないですか。
答 そんなことはあり得ません。
なぜなら、まことの信仰によって、キリストに植えつけられた者が、
感謝の実を結ばないということは、あり得ないからです。


聖礼典について
第25主日
問65 それだけが、わたしたちを、キリストとそのすべての恵みの分け前に、あずからせる、そのような信仰は、どこから来るのですか。
答 聖霊が働いて、わたしたちの心の中に1、
聖なる福音の説教によって、信仰を起こし、
聖礼典を用いることによって、それを確かなものとするのです2。

問66 聖礼典とは何ですか。
答 神様がお定めになった、目に見える聖なるしるしであり、印章です。
神様は、わたしたちに、これを用いることにより、
福音の約束を、いっそう良く理解させ、保証してくださるのです。
 その福音の約束とは、
神様が、わたしたちに、
十字架において成し遂げられた、キリストの、ただ一度限りの犠牲のゆえに、
罪の赦しと永遠の命とを、恵みによって、与えてくださる、ということです3。

問67 それでは、みことばと聖礼典との、これらの二つのものは、
わたしたちの信仰を、わたしたちの救いの唯一の基礎である、
十字架におけるイエス・キリストの犠牲へと向けさせるのですか。
答 はい、その通りです。
なぜならば、聖霊は、わたしたちの救いのすべてが、
わたしたちのために、十字架においてなされた、
キリストの、ただ一度限りの犠牲に基づいているということを1、
福音の中で教え、聖礼典によって、確かなものとするからです。

問68 キリストは新約聖書の中に、いくつの聖礼典をお定めになりましたか。
答 二つです。聖なる洗礼と聖餐です。


聖なる洗礼について
第26主日
問69 あなたは、聖なる洗礼において、
十字架における、キリストの、ただ一度限りの犠牲が、あなたの利益になる事を、どのように思い起こし、また確信させられのですか。
答 キリストは、この外面的な水の洗いをお定めになりました1。
そして次のような約束をなさったのです2。
 わたしは、主の血と霊とにより、
わたしの魂の汚れ、すなわち、わたしのすべての罪から、
確かに洗われるのだということ。
 そして、それは、わたしが、身体の汚れを取り除くことを常としている、その水によって、外面的に洗われるのと同じくらい確かである、
ということです3。

問70 キリストの血と霊とによって洗われるとは、どういう意味ですか。
答 わたしたちが、主の十字架における犠牲において、
わたしたちのために流された、キリストの血のゆえに、
神様により、恵みにより、罪の赦しを手に入れる、ということです4。
 さらに、わたしたちは、聖霊によって新しくされ、
キリストの手足として、聖なるものとされる、ということでもあります。
そして、時とともに、ますます、罪に死んで、神様のみこころにかなう、潔白な生涯を送るようになるのです5。

問71 わたしたちが、洗礼の水により洗われるのと同じように、
確かに、主の血と霊とにより、洗われるということを、
キリストはどこで約束されましたか。
答 洗礼の制定のときです。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい1。」「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける2。」こう言われています。
 この約束は、聖書が、洗礼を再生の洗い3、罪の洗い清めと呼んでいる4時にも、繰り返されているのです。


第27主日
問72 それでは、この外的な水の洗いは、わたしたちの罪の洗い清めそのものなのですか。
答 いいえ5。ただイエス・キリストの血と聖霊だけが、
わたしたちを、すべての罪から清めてくださるのです6。

問73 それでは、なぜ、聖霊は、洗礼を再生の洗い、また罪の洗い清め、と呼ぶのですか。
答 神様は、確かな理由なしに、そのようにお語りになることはありません。
つまり、神様は、これにより、わたしたちに教えようとされるのです。
 ちょうど身体の汚れが、水によって取り去られるように、
わたしたちの罪は、キリストの血と霊とによって取り去られるのだということを1。
 そして、そればかりではなく、神様は、わたしたちに、神様の保証金としるしとによって、
わたしたちが、本当の水によって洗われるのと同じくらい真実に、
わたしたちが、わたしたちの罪から、霊的に洗われることを、
保証して下さるのです2。

問74 幼い子供にも洗礼を授けるべきでしょうか。
答 はい、そうです。
なぜなら、子供たちも、大人たちと同じように神様の契約とその教会共同体とに属しているからです3。
 子供たちにも、キリストの血における、罪からの救いと4、信仰を起こす聖霊とが、大人たちと比べて、少しも劣ることなく、約束されているからです5。
 ですから、子供たちも、契約のしるしとしての洗礼によって、キリスト教会に手足としてはめこまれ、信じない者の子供たちとは区別されるべきなのです1。
 それは、旧約において、割礼により、行われていたのと同様です2。
それに代わって、新約では洗礼が定められたのです3。


イエス・キリストの聖餐について
第28主日
問75 聖餐において、あなたが、ただ一度限りの、十字架におけるキリストの犠牲とそのすべての財産の分け前にあずかっている事を、
どのように、あなたは、思い起こさせ、確信させられるのですか。
答 キリストは、わたしと、信じる者すべてに、主の記念として、
この裂かれたパンを食べ、この杯から飲むことをお命じになったのです。
 これにより、主は、次のことを約束して下さいます1。
 第一に、わたしが、主のパンがわたしのために裂かれ、杯がわたしに分け与えられるのを、わたしの目で確かに見るように、確かに、十字架において、主の身体がわたしのために犠牲として捧げられ、裂かれて、その御血潮がわたしのために、流されたということです。
 第二に、わたしが、キリストのからだと御血潮との確かなしるしとして、わたしに与えられた、主のパンと杯とを、奉仕者の手から、
確かに、受け取り、また肉体的に食べるように、
確かに、主御自身が、わたしの魂に、永遠の生命のために、主の十字架につけられたからだと、流された御血潮とを食べさせ、飲ませてくださるということです。

問76 キリストの十字架につけられたからだを食べ、
その流された血を飲むとはどういう意味ですか。
答 それは、わたしたちが、信仰に満ちた心をもって、
キリストの苦しみと、死との全体を受け入れて、
それによって、罪の赦しと永遠の生命とを受け取る事を意味するばかりではなく2、
 さらに、それに加えて、わたしたちが、キリストのうちに住まわれると同時に、わたしたちのうちにも住まわれる、
聖霊によって、主の聖なるからだと共にますます一体となる事を意味しています3。
 ですから、たとえ、主が天におられ1、わたしたちが地にあっても、
わたしたちは、主の肉の肉、主の骨の骨であり2、
それゆえ、わたしたちは、(わたしたちのからだの手足がひとつの魂によっているように)ひとつの霊によって、永遠に生き、また支配されるのです3。

問77 キリストは、どこで、信じる者に、この裂かれたパンから食べ、
この杯から飲むように、確かに、主のからだと血とを食べさせ、また飲ませると約束されましたか。
答 聖餐の制定の時です。そこには次のように記されています4。
「わたしたちの主イエスは、裏切られた夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『取って、食べなさい。これは、あなたがたのために裂かれる、わたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。 だから、あなたがたは、このパンから食べ、この杯から飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
 この約束はまた使徒パウロによって繰り返され5、彼はこう言っています。
わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。


第29主日
問78 それでは、パンとぶどう酒とは、
キリストのからだと血そのものになるのですか。
答 いいえ。
そうではなくて、洗礼の水がキリストの血に変化したり、罪の洗い清めそのものになるのでなく、
ただ、このことの、神様のしるし、また保証にすぎないのと同じように1、
 聖餐の聖なるパンも、聖礼典のやり方としきたりとによれば2、キリストのからだと呼ばれるのですが、キリストのからだそのものになるわけではありません3。

問79 それでは、なぜ、キリストは、パンを主のからだ、杯を主の血あるいは主の血による新しい契約とお呼びになるのですか。また、なぜ、使徒パウロは、イエス・キリストのからだと血とにあずかる、と言ったのですか。
答 キリストは、確かな理由なしに、そのようにお語りになることはありません。
つまり、主は、これにより、わたしたちに教えようとされるのです。
 パンとぶどう酒とが、この世の生命を保つように、
主の、十字架につけられた、からだと流された血とが、永遠の生命のための、わたしたちの魂の、まことの食べ物であり、まことの飲み物であるということを4。
そして、そればかりではなく、主は、わたしたちに、この目に見えるしるしと保証金とによって、約束して下さるのです。
 わたしたちが、この聖なるしるしを、肉体の口をもって、主の記念として、受け取るように、それほど真実に、わたしたちが、聖霊のはたらきを通して、主のまことのからだと血との分け前にあずかるのだということを5。
 そして、すべての主の苦しみと従順とが、あたかも、わたしたち自身が、自分自身で、すべてを苦しみ、償いを成し遂げたかのように、
確かに、わたしたちのものとなるということを。


第30主日
問80 主の聖餐と教皇のミサとの間には、どのような違いがあるのですか。
答 聖餐は、わたしたちに、次のことを、証しするのです。
 わたしたちが、わたしたちのすべての罪から、完全に赦されたのだということを。
それはイエス・キリストの犠牲、おひとつのみによるのであって、
主ご自身が、十字架において、ただ一度、成し遂げられたのです1。
 そして、わたしたちは、聖霊によって、キリストとひとつのからだにされたということを2。その主は、今、まことのからだをもって、天において、父の右におられ3、そこにおいて、礼拝されるのです4。
 しかし、ミサは、教えるのです。
生きている者も、死んでいる者も、
ただ、キリストが、今も、日ごとに、彼らのために、ミサの司祭によって犠牲としてささげられるのでないならば、
キリストの苦しみによって、罪の赦しを得るのではないということを。
 また、こうも教えています。
キリストが、パンとぶどう酒との形の下に肉体としておられ、その中において、礼拝されるのであると。
 ですからミサは、根本的に、イエス・キリストの、ただ一度限りの犠牲と苦しみとを、否定しているのに他ありません5。のろうべき、偶像崇拝なのです*。

問81 どのような人が、主の食卓に来るべきでしょうか。
答 自分の罪のため、自分が気に入らないが、
神様がそれらについて自分を赦してくださっている事を、
 また、残っている弱さも、キリストの苦しみと死とによって、
おおってくださっている事を、信じているすべての人です。
 そして、また、ますます自分の信仰が強められて、自分の生活が、
より良いものとなることを望んでいるすべての人です。
 しかし、悔い改めない者や偽善者は、主の食卓に来て、自分自身に対する裁きを飲み食いするのです1。

問82 信仰告白と生活において、信じない者、神なき者であることを示している者も、聖餐にあずかることが許されるのですか。
答 いいえ、許されません。
なぜなら、そうすることによって、神様の契約を侮辱し、
全会衆に対して神の怒りをひきおこすことになるからです2。
 ですからキリストの教会は、
キリストとその使徒たちの教えにしたがい、
そのような人々を、その生活が改善されるまで、
鍵の役目によって、閉め出すのです。


第31主日
問83 その鍵の役目とは何ですか。
答 聖なる福音の説教とキリスト信仰の戒規です。
このふたつにより、天国は、
信じる者たちには開かれ、信じない者たちには閉ざされるのです1。

問84 聖なる福音の説教によって、天国は、どのようにして開かれ、
また閉ざされるのですか。
答 キリストのご命令によって、このように行われます。
すべての、またあらゆる信じる者たちは、
福音の約束を、まことの信仰をもって信じれば信じるほど、すべての罪が、キリストの功績により、神様によって本当に赦されることを告げられ、また公に証しされるのです。
 その反対に、すべての信じない者と偽善者とは、
悔い改めないかぎり、神の怒りと永遠の呪いとが、彼らにのぞむことを告げられ、また公に証しされるのです2。
 この福音の証言によって、神様は、この世においても、また来るべき世においても、お裁きになるのです。

問85 キリスト教の戒規によって、天国は、どのようにして閉ざされ、
また開かれるのですか。
答 キリストのご命令によって、このように行われます。
自分がキリスト者であると言いながら、非キリスト教的な教え、あるいは生活をする人はすべて、何度でも、兄弟として、戒められるのです。
 もし、その人々が、誤りと悪徳とを止めないならば、
教会あるいは教会によってまかされた役目の人々に、名前を挙げられます。
 もし、その人々が、その戒めさえも、無視するならば、
その役目の人々により、聖礼典の停止をもってキリスト教会共同体から、
そして神御自身によっては、キリストの御国から閉め出されるのです。
 しかし、彼らが、もし、まことの改心を約束し、証明するならば、
キリストと教会の手足として、再び受け入れられるのです1。


第三部 感謝について
第32主日
問86 わたしたちは、何の功績もないのに、キリストの恵みによって、
みじめな状態から救われています。それなのに、どうして良い行いをしなければならないのですか。
答 なぜなら、キリストは、その血によって、わたしたちを買い取ってくださり。
そしてその後に、その聖霊によってわたしたちを新しくし、キリストに似るものとしてくださったからです。
 そして、わたしたちは、全生涯をもって、神様に、その恵みのみ業に対して感謝を示します1。わたしたちによって、神様が讃えられるためです2。
 さらに、わたしたちが、その実りによって、自分自信の信仰を確信します3。神様のみこころにかなう生活により、隣人をもキリストに導くためです4。

問87 それならば、感謝もしない、悔い改めることもしない生活から離れて、神様に従わない者は救われないのですか。
答 決して救われません。なぜなら聖書は次のように言っているからです。
「みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う物は、決して神の国を受け継ぐことができません。」1


第33主日
問88 人間の本当の悔い改め、回心は、いくつの部分から成り立っているのですか。
答 二つの部分です。それは、古い人間の死滅と2、新しい人間の復活です。

問89 古い人間の死滅とは何ですか。
答 心から罪を悔い、ますます、これを憎み、これを避けることです3。

問90 新しい人間の復活とは何ですか。
答 キリストを通して心から神様を喜び1、神様のみこころに従って,
あらゆる良い行いに生きることを求めて、愛することです2。

問91 いったい良い行いとはどんなものですか。
答 ただ、まことの信仰から3、神様のおきてに従って4、
その栄光のためになされるものであって5、
わたしたちの判断や、人の指図に基づくようなものではありません6。

問92 主のおきてとは、どのようなものですか。
答 神様はこれらすべての言葉を語られました。
第一戒 私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない1。

第二戒 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。

第三戒 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

第四戒 安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。

第五戒 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

第六戒 殺してはならない。

第七戒 姦淫してはならない。

第八戒 盗んではならない。

第九戒 隣人に関して偽証してはならない。

第十戒 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」


第34主日
問93 これらの戒めはどのように分けられていますか。
答 二つの板に分けられています1。第一の板は、四つの戒めにより、わたしたちが神様に対してどのように振る舞えば良いかを教えます。
第二の板は、六つの戒めにより、わたしたちが、隣人に対して、どんな義務があるかを教えるのです2。

問94 神様は、第一戒において、何を求めておられますか。
答 神様は次のことを求めておられます。
わたしが、わたしの魂の救いと、喜びとを失うことがないように、
あらゆる偶像崇拝3、魔術、迷信によって与えられるもの4、諸聖人や他の被造物の名前を呼ぶこと5を避けて、逃れるべきであること。
 そして、むしろ、わたしが、ただひとりのまことの神様を正しく知り6、この神様のみを信頼し7、あらゆる謙遜8と忍耐9とをもって、この神様からのみ、すべての良い物を待ち望むこと10を求めておられます。
 この神様のみを、わたしは、心から愛し11、おそれ12、あがめ13なければなりません。ですから、神様のみこころに、少しでも逆らうくらいなら、むしろ、わたしは、すべての被造物を捨て去るのです14。

問95 偶像崇拝とは何ですか。
答 御言葉によって、御自分を現された、
ただひとりのまことの神様の代わりに、
または、まことの神様に加えて、
人間が信頼をおくべきものとして、何か他の物を、
考え出したり、持ったりすることです1。

第35主日
問96 神様は、第二戒において、何を求めておられますか。
答 神様は次のことを求めておられます。
わたしたちが、どんな方法を用いても、神様を模写しないことを2、
そして、また、神様が命じられた以外の方法では、神様をあがめないこと3を求めておられるのです。

問97 それでは、人は、どのような画像も、造ってはならないのですか。
答 神様は、どのような方法によっても、模写できないし、模写してはならないのです。被造物は、模写しても、差し支えありません。
 しかし、神様は、それらを崇めるためであったり、それによって、
神様を拝むために、被造物の画像を造ったり、持つことは禁じておられます1。

問98 しかし、画像は、信徒のための書物として、教会の中で許されて良いのではありませんか。
答 いいえ、そうではありません。神様は、キリスト信徒が、ものを言わない偶像によってではなく2、生きている、神様の言葉の説教によって、教えられることを望んでおられるのです3。その神様よりも、わたしたちの方が賢いと思ってはなりません。


第36主日
問99 神様は、第三戒において、何を求めておられますか。
答 神様は次のことを求めておられます。
わたしたちが、呪いや1偽りの誓い2によってだけではなく、不必要な誓い3によっても、
神様のお名前を、冒涜したり、乱用したりしないこと。
 また、わたしたちが、沈黙や傍観によって、このようなおそろしい罪の共犯にならないこと。
 要するに、わたしたちは、神様の聖なるお名前を、おそれと深い敬意をもってしか使用してはならないのです4。それは、神様が、わたしたちによって、正しく言い表され5、呼ばれ6、わたしたちのすべての言葉とわざをつくして7、讃えられるためなのです。

問100 それでは、誓いと呪いによって、神様のお名前を冒涜することは、非常に大きな罪であるのですか。それは神様が、全力でこれに反対し、またはこれを禁じないものに対して、お怒りになるほどなのですか。
答 はい、その通りです8。
神様のお名前を冒涜することほど、大きな罪、また神様が激しくお怒りになる罪はないのです。そのため、神様はまた、この罪を、死をもって罰するように、お命じになったのです9。


第37主日
問101 しかし、また、神様のみ心にかなうように、神様のお名前によって、誓いを誓うことができるのではないですか。
答 はい、できます。
政府が国民に求める場合と、その他に、神様の栄光と隣人の救いのために、忠誠と真実とを守り、促すため、誓いが、どうしても必要な場合です。
 なぜなら、そのような誓いは、神様の言葉に基づいており1、旧約聖書においても、新約聖書においても、聖なる信仰者たちによって正しく用いられて来たからです2。

問102 聖人や、その他の被造物によって、誓ってもよろしいでしょうか。
答 いいえ、いけません。
なぜなら、正しい誓いにおいては、わたしが神様ご自身を、証人としてお呼びするのです。
 そうすることにより、唯一、わたしの心をご存知の神様は、真実を立証され、
もし、わたしが、偽って誓うときには、わたしを罰されるのです3。
 このような栄誉はどんな被造物にも与えられておりません4。


第38主日
問103 神様は、第四戒において何を求めておられますか。
答 神様は次のことを求めておられます。
まず第一に、説教の職務と信仰教育とが保ち続けられて1、
わたしが、とりわけ主日においては、
神の教会共同体へと熱心に集い2。
 そこで神様の御言葉を学び3、聖礼典を守り4、公に主をお呼びして5、キリスト教信仰による施しをすること6。
 第二に、わたしの生涯のすべての日において、わたしの悪い行いを休み、主が、そのみ霊によって、わたしたちの内に働いて下さるようにすること。
 そうして、この生涯において、もう既に、永遠の安息日を始めることを、神様は求めておられるのです7。


第39主日
問104 神様は第五戒において、何を求めておられますか。
答 わたしが、わたしの父や母、そして、わたしの上に立てられた、
すべての者に対して、あらゆる栄誉、愛、忠実とを示すこと、
 そして、すべての良い教えと罰とを従順に受け入れ1、
また彼らの欠けをも忍耐することを求めておられるのです2。
 なぜなら、神様は、わたしたちを、彼らの手を通して支配することを望んでおられるからです3。


第40主日
問105 神様は第六戒において、何を求めておられますか。
答 わたしが、わたしの隣人を、思いや言葉、態度、ましてや行いをもってでも、自分みずから、あるいは他の人を通して、ののしったり、憎んだり、侮辱したり、殺したりしないことです4。
 また、わたしが、むしろ、すべての復讐心を捨てて5、わたし自身が自分を傷つけたり、無理に危険を冒したりしないことです6。
 それゆえに、役人は殺人を防ぐために剣を帯びているのです7。

問106 それでは、この戒めは、単に殺すことについてのみ語っているのではないのですか。
答 神様が、殺人を禁じることを通して教えようとされるのは、
神様が、ねたみ1、憎しみ2、怒り3、復讐心のような、殺人の根をお憎みになるということです。
 そして、これらすべてが、神様の前では、隠れた殺人であるということです4。

問107 しかし、わたしたちが、わたしたちの隣人を、そう告げられたように殺さなければ、この戒めを既に満たしていることになるのですか。
答 いいえ、違います。
 なぜなら神様は、ねたみ、憎しみ、怒りを呪っておられ、
わたしたちが、隣人をわたしたち自身のように愛することを望んでおられるからです5。
 隣人に対しては忍耐、平和、柔和6、憐れみ7、友情8を示し、
その人の受ける害を力の限り防いで9、わたしたちの敵にもまた、良いことをなす事10を望んでおられるのです。


第41主日
問108 第七の戒めは何を求めていますか。
答 神様は、すべてのみだらなことを呪っておられます1。
 それゆえ、わたしたちはこれを心から憎み2、
聖なる結婚生活においても、それ以外の場合にも3、
清く、また慎み深く生きなければならない4、ということです。

問109 神様はこの戒めにおいて、姦淫と同類の辱め以外は何も禁じておられないのですか。
答 わたしたちの肉体も魂も、共に聖霊の宮なのです。それゆえ、神様はわたしたちがこの二つを清く、聖なるものとして保つことを望んでおられます。そのようなわけで、神様はすべてのみだらな行い、態度、言葉5、思い、欲望6、そして、人をそのようなものへと誘うもの7を禁じておられるのです。

第42主日
問110 神様は第八戒において、何を禁じておられますか。
答 神様は、ただ、裁判所が罰する盗み1や略奪2を禁じているだけではありません。
 神様は、また、わたしたちが、隣人の財産を自分のものにしようと企む、すべての計略や人を欺く手だてをも盗みと呼ばれるのです。
 つまり、暴力であろうと、合法であることを装う3、
たとえば、不正な重り4、物差し、升5、粗悪な商品、偽造したお金、
不当な利子6、あるいは、神様が禁じられた、いかなる手段によってでもです。
 また、神様は、すべての貪欲7、神様の恵みの無駄な浪費8をも禁じておられます。

問111 ならば、神様はこの戒めにおいて、あなたに何を命じておられるのですか。
答 わたしが、わたしのできる限りにおいて、わたしの隣人の利益を助け、そして、隣人に対して、人がわたしにして欲しいと思うことをすることです9。また、わたしが困っている人を、その苦しみから助けることができるようにと、熱心に努力することです10。


第43主日
問112 第九戒は何を求めていますか。
答 わたしが、誰に対しても、偽りの証言をすることなく1、
誰に対しても、自分の言葉を曲げることなく2、陰口をすることなく、
中傷しないことを求めているのです3。
 わたしが、誰の言うことも聞き入れないで、軽はずみに罪に定めることを助けないこと4。
 むしろ、すべての、嘘やごまかしを、悪魔のしわざとして5、神様の大いなる怒りをおそれるがゆえに、避けること6。
 法廷においても、また他の場所においても、わたしが、真理を愛し、
正直に語り、告白し7、
また、わたしの隣人の名誉と名声を、力の限り、救い、また増やすこと8を求めているのです。

第44主日
問113 第十戒は何を求めていますか。
答 神様のどんな戒めにもそむく、最も小さな欲望や、また、思いさえも、わたしたちの心に決して生じることなく、
 わたしたちが、いつも、心から、あらゆる罪の敵となり、あらゆる正義を好むようになることを求めているのです1。

問114 神様に回心した人たちは、これらの戒めを完全に守る事ができますか。
答 いいえ、できません。
 最も敬虔な人たちでさえ、この人生においては、ほんのわずかな服従のスタートをしたに過ぎません2。
 しかし、彼らも断固たる決意をもって、いくつかの戒めばかりではなく、神様のすべての戒めに従って生きることを始めるのです3。

問115 それならば、わたしたちに対して、なぜ神様は十戒をおしつけがましく説教させるのですか。これらの戒めをだれもその人生において守ることができないのに。
答 第一に、わたしたちは、わたしたちの全生涯の間、
わたしたちの罪深い性質を、
時とともにますます多く認めて1、それだけますます熱心に、
キリストにおける罪の赦しと義とを求めるようになるためです2。

 第二に、わたしたちがたゆまず努力して、
神様に聖霊の恵みを求めるようになるためです。
つまり、わたしたちが時とともにますます、
神様の似姿にむかって新しいものとされて、
ついには、この人生ののちに、完成の目標に到達するのです3。


第45主日
問116 なぜ、キリスト者には祈りが必要なのですか。
答 祈りは、神様がわたしたちにお求めになる感謝の、もっとも大切なものであるからです1。
 神様は、その恵みと聖霊とを、心からのうめきをもって、絶えず、
これを神様に願い求め、
またこれを神様に感謝する者にのみ、お与えになるのです2。

問117 神様のみこころにかない、聞き入れられる祈りには、何が必要ですか。
答 そのような祈りには、次のことが必要です。

 第一に、わたしたちが、わたしたちに、み言葉において、みずからを、
おあらわしになられた、まことの神様のみに1、
 神様が、わたしたちに求めなさいと、お命じになったすべてのものを2、
心から呼びもとめることです3。

 第二に、わたしたちが、わたしたちの苦しみとみじめさとを、
まことに根本的に認識して4、
 わたしたちを、神様の尊厳の前に、へりくだらせることです5。

 第三に、わたしたちが、神様が、わたしたちの祈りを、
わたしたちが、ふさわしくない者であるにもかかわらず、
主がわたしたちに、そのみ言葉においてお約束になったように6、
主キリストのゆえに、確かに聞き届けてくださるということを7、
堅く信じることです8。

問118 神様はわたしたちに、神様に何を願い求めることを、
命じておられますか。
答 わたしたちが、わたしたちの霊的な、また肉的な生活に必要な、
すべてのものです1。
 それは、主キリストご自身が、わたしたちに教えてくださった、
祈りの中におまとめになりました。

問119 その祈りは、どのように言うのですか。
答 天にいらっしゃいます、わたしたちの父よ2、
あなたの御名が、聖なるものとして崇められますように、
あなたの御国が来ますように、
あなたの御心が行われますように、天においてと同じように、地の上でも。
わたしたちの日々のパンを、今日、わたしたちにお与えください。
わたしたちの負い目をお赦しください、
わたしたちがわたしたちに負い目のある人をゆるしますように。
わたしたちを試みに導かないで、悪より救い出してください。
み国と、力と、栄えとは、永遠にあなたのものだからです。
アーメン


第46主日
問120 なぜ、キリストはわたしたちに、
神様を「わたしたちの父」と呼ぶように、命じられたのですか。
答 キリストは、わたしたちの祈りの、すぐはじめから、
わたしたちの、子供としての恐れと信頼とを、神様に対して呼び起こそうとされるのです。そして、それは、わたしたちの祈りの基となります。
 つまり、神様は、まさにキリストによって、わたしたちの父となられたからです。
 そして、わたしたちが信仰において神様に求めることを、
決してお拒みにはなりません。それは、わたしたちの父たちが、わたしたちに、この世のものを拒まないのに、はるかにまさっているのです3。

問121 なぜ、「天にいらっしゃいます」と付け加えるのですか。
答 わたしたちが、天にいらっしゃいます、神様の尊厳について、
この地上においてのように考えないようになるためです1。
 また、神様の全能に対して、わたしたちが、肉と霊のために必要な、
すべてのものを、期待するようになるためです2。


第47主日
問122 第一の求めは何ですか。
答「あなたの御名が、聖なるものとして崇められますように」です。
それによって、わたしたちは、次のことを祈ります。
 わたしたちが、あなたを正しく知ることができますように1。
 あなたの全能と、知恵と、慈しみと、義と、憐れみと、そして真理とが光り輝いている、あなたのすべての、み業において、
あなたを、聖なるものとして崇め、ほめたたえ、讃美させてください2、ということです。
 また、わたしたちの全生活、思想、言葉、そしてわざとを、あなたのお名前が、わたしたちのために悪く言われるのではなく、
敬われ、讃美されるように、向けてください、ということです3。


第48主日
問123 第二の求めは何ですか。
答 「あなたの御国が来ますように」です。
それによって、わたしたちは次のことを祈ります。
 あなたの御言葉と、あなたの霊とによって、わたしたちを、支配して、
わたしたちが、時と共に、ますます、あなたに従う者となりますように4。
 あなたの教会を保ち、そして増やして5、悪魔のわざと、
あなたに逆らって起こる、すべての暴力とを砕いてください。
 あなたの聖なる御言葉に逆らって考え出された、すべての悪いはかりごとを、打ち砕いてください6。
そして、あなたが、すべてにおいて、すべてとなられる7、
あなたの御国の完成を来たらせてください8、ということです。
マタイによる福音書6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。


第49主日
問124 第三の求めは何ですか。
答 「あなたの御心が行われますように、天においてと同じように、
地の上でも」です。
 それによって、わたしたちは次のことを祈ります。
 わたしたちと、すべての人間とが、自分たち自身の意志を取り下げて1、
あなたのただひとつの良い御意志に、いかなる反論もしないで従い2、
 おのおのの役目と職務とを、天の御使いのように3、
喜び、また誠実に、果たすものとならせてください4、ということです。


第50主日
問125 第四の求めは何ですか。
答 「わたしたちの日々のパンを、今日、わたしたちにお与えください。」です。
それによって、わたしたちは次のことを祈ります。
 からだと命とに必要なすべてのものを、わたしたちにお与えください1。
 それにより、あなただけが、すべての良いものの源であり2、
あなたの祝福なしには、わたしたちの心配も、労働も、あなたの賜物さえも、わたしたちには何の役にも立たない事を3、知るように教えてください。
 そういうわけで、わたしたちの信頼を、すべての被造物に向けることなく、ただあなただけに、置くようにしてください4、ということです。


第51主日
問126 第五の求めは何ですか。
答 「わたしたちの負い目をお赦しください、わたしたちがわたしたちに負い目のある人をゆるしますように。」です。
これによって、わたしたちは次のことを祈ります。
 あわれな罪人である、わたしたちに、わたしたちの悪い行いすべての責任と、また、今もなお、わたしたちにつきまとう、悪の責任とを、
キリストの血のゆえに、負わせないでください5。
 わたしたちも、あなたの恵みの証しを、わたしたちの内に見い出し、
わたしたちの隣人を、心からゆるそうと、かたく決心していますから6、ということです。


第52主日
問127 第六の求めは何ですか。
答 「わたしたちを試みに導かないで、悪より救い出してください。」です。
これによって、わたしたちは次のことを祈ります。
 わたしたちは、わたしたち自身では大変弱く、ひとときも、持ちこたえることができません1。
 それに加えて、わたしたちの明らかなる敵である、悪魔と2、この世と3、わたしたち自身の肉とは4、わたしたちを誘惑することをやめません。
 ですから、あなたの聖霊の力によって、わたしたちを守り、強くしてください。
 わたしたちが、最後に、この戦いの勝利を完全に手に入れるまで5、
わたしたちが、それらに対し、断固として抵抗し、
この霊的な戦いに負けることがありませんように6、ということです。

問128 あなたは、この祈りをどのように結びますか。
答 「み国と、力と、栄えとは、永遠にあなたのものだからです。」
これによって、わたしたちは次のことを祈ります。
 これら全てのことを、わたしたちがあなたに求めるのは、
あなたが、わたしたちの王として、また、すべてのものに力ある方として、
わたしたちに、すべての良いものを与えようとなさり、また、それがお出来になるからです1。
 そして、それにより、わたしたちではなく、あなたの聖なる御名が、
永遠にほめたたえられますように2、ということです。

問129 「アーメン」という小さな言葉は、どういう意味ですか。
答 アーメンとは、これは真実であり、確かであるに違いない、という意味です。
 なぜなら、わたしの祈りは、わたしが、心の内に、
これらすべてを、神様に願い求めていると、感じるよりも、
はるかに確かに、神様によって聞き入れられているからです3。
posted by かたつむり at 18:17| ハイデルベルク信仰問答 | 更新情報をチェックする
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